私の10年日記帳

1月6日は私にとっては大事な記念日の一つでして
ついったーを始めた日です。
今年でまる10年になりました。
受験期に止めていた(ときどき浮上してた)時期もありますが、
おおむねずっと日常を呟いているので、
私のついったーアカウントは10年日記になりました。
これからも、懐かしんだり軌跡を確認したりするために、
日常を記録していきたいなと思います。
大事なことも大事じゃないことも、
残る形で記録しておかないと不安になる病気なので。
また、私の趣味のひとつはこのn年日記を見返すことで、
ときどきTwilogの「すべての年の同日ツイート」を見ています。

ついったーを始めたきっかけは、同級生に誘われたこと。
中2の1月ですね。
それから、中3の頃は、数人の中学の友だちくらいをフォローして、
適当なリプライをし合う場所でした。
中3の頃のツイート頻度が1番高い。
携帯買ってもらえなくて、家でしか出来なかったのに。
高校に入って、高校の友だちのアカウントをぼちぼち教えてもらいました。
高2の夏に、数理の翼関係のフォローが増えました。
この頃までは、だいたいすべてのツイートを追っていた気がします。
フォローが増えて、追えなくなって、
開いてるときにあるツイートだけを読むスタイルになった気がします、たぶん。
次に一気にフォローが増えたのは、大学合格のときで、
東大理系合格者を適当にフォローしました。
それまで、知り合いがほとんどだったついったーが、
知らない人がたくさんになりました。
しばらくして、知り合いのツイートを追うために、
知り合いだけのリストを作ってそこだけを見るようになりました。
また、大学2年生くらいからハンドメイドにハマりだして、
情報を得るために作家さんをフォローする、という使い方も始めました。
最近は、近しい知り合いを入れたリストはだいたい全部追っていて、
ついったー開いているときは全体のTLを見るみたいな使い方をしています。

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月ごとのツイート数の推移

そういえば、「ついったー」とひらがな表記することは、
ちょっとしたこだわりで、中学の頃、
まわりの人がみんな「ついった」「ついったー」と書いてたからです。

これからも、どうでもいいことを好きに呟いていくので、
ミュートして構いませんが(ブロックするならミュートしてほしいな)
よろしくお願いします。
ツイートすることもツイート読むことも大好きなので、
みなさんもっとツイートしてください()

2019年ふりかえり

年末恒例ふりかえりです。

いつも、スケジュール帳アプリ見ながら書くのですが、

一昨日スマホを変える時にデータ引き継ぎし忘れて消えたので悲しんでいます。

 

1月

バイトに行きたかったので東京(埼玉)で年越ししました。

元旦にバイト行ったら、学科の友達が家族で泊まりに来てて、超びっくりしました。

年明けから研究室に女子が増えました。学生ではないけど。

(その後、ゆっくり仲良くなって、相談聞いてもらったりできる仲になってすごく嬉しい。)

ミニレビューに振り回されてた1ヶ月だった気がします。

 

 2月

 引越しの支度をして、引越しをしました。

弥生から本郷に引越してきて、弟と2人暮らしを始めました。

家事を分担しつつ、人と暮らすのは楽しいなと思ったり、難しいなと思ったり。

 なんか受験生お疲れ様会の記憶無いな?とツイート見返してたら、

実験長引いてドタキャンして、高みきに埋め合わせを頼んだのを思い出しました。

 

3月

頭に卒論発表があったはずだけどあまり覚えてない。

 OISTのサイエンスチャレンジに1週間行きました。

友達ができて、英語へのハードルが下がって、国際的な感覚や留学に対する価値観が豊かになった、充実した1週間でした。

 

また、33の同窓会(4回目!)したり、新歓合宿@つくば行ったりしました。

つくばで初めて3列の車を運転しました、出来ました。

電気自動車だったのも初めてで、「車を充電してるからちょっと待ってて」という概念が新鮮で面白い感じがしました。

 

卒業式でした。袴を着ました。

バイト先の人が、みんな着物を自分で着れるのに憧れて、着付け教室に通ったり、母親に教わったりで覚えました。

写真を見たら、着崩れてたけれど、まあ様にはなってたかな。

卒業おめでとう、ってみんなに言われて嬉しい日でした。

 

4月

ラボの後輩がやっと出来ました。

この頃から、共同研究先に行く機会が増えた気がします。

 

30日に、令和記念切符で、5000円で式根島に行って2時間半滞在してきました。

離島は発見の密度が高くて楽しい。

船は酔いそうだったのでずっと寝てました。

晴れてる日にまた行きたいです。

 

5月

改元したばかりの皇居周辺を散歩したり、一般参賀に行ったりしました。

あとのゴールデンウィークは、バイト戦士をしました。

 

五月祭に翼同期と行きました。

翼同期のYouTuber見たり、ラボの後輩にお茶を出してもらったりしました。

友だちと学園祭まわるの楽しい。

 

6月

猫居酒屋行った。猫さまは可愛い。

 

初ゼミのTAをぼちぼちしてました。

アルツハイマー病の治療法を考えよう、というテーマで、1年生が班ごと調べ学習するのを眺めるお仕事。

私も1年生の時に、初ゼミで、アルツハイマー病の早期発見方法を考えたので、とても懐かしい気持ちになりました。

1年生たちは、とても一生懸命取りくんでいて、知識が追いつかなかったりしましたが、TA楽しかったです。

 

7月

神戸の学会に行きました。聞くだけです。

そのときに、きあらに東かがわ連れてってもらったり、中学の同級生のおうちに泊めてもらっていろいろお喋りしたりして、いい思い出が出来ました。

かつて毎日会ってた親友とお喋りするのは、びっくりするくらい気兼ねなく喋れる時間で、いつまでも切り上げたくない時間だなと思います。

 

8月

数理の翼班長をしました。

あまり夜ゼミ開催出来なかったのが反省点。

でも、たくさんの高校生に仲良くしてもらって、雑談したり夜ゼミ聞かせてもらったり、げんかいしりとりしたり、超楽しかったです。

人々の中でも、それぞれの最高な思い出のひとつになっているといいな。

 

最終週は、佐渡トムラウシ→夏の学校@札幌→ラボ旅行@尾瀬という旅行をしました。

無茶な旅程を組みましたが、疲労以上に楽しくって、無茶してよかった思い出です。

ついったーにその都度記録を残したから、ここでは語らない。

佐渡トムラウシ尾瀬もおすすめ訪問スポットです。

 

9月

台風の日にバイトに行ったら、傘が壊れて、母親とかに怒られました。

 

江ノ島行った。江ノ島も島なのかと思った。

えのすい初めて行った。

 

潰れるくらい飲んでもいい会、をゆーげんの人捕まえてしました。

最初、ペース早めで飲んでたら、酔う前に気持ち悪くなりかけて、潰れるくらい飲むのは諦めました。

でも、「たった今考えたプロポーズの言葉を君に捧ぐよ」をしたり、通話したりして、私の中で五本の指に入るいい飲み会でした。

消すことのできない 犬 消してあげるよ

シュガーマーケットはいいぞ。

酔った幸せな気持ちで、高みき家二次会に行って寝て、Crくんと本郷まで歩いて、そのままバイト出勤したのも思い出。

 

10月

 3km走るのと、毎朝4時起き(毎朝決まった時間に起きる)を始めました。

年末の最近、あまり出来てなくて良くないですね。

 

学会でポスター発表しました。

思ったより、興味を持ってもらえて、モチベが少し生まれました。

ただ、発表以上に、お友達がたくさんできて、ご飯誘ってもらったりしたのがとても楽しくて嬉しかったです。

0日目の若手セミナーで、「同じラボの学生来てないんですよ」という話をしたら、この子は1人で来た可哀想な子、と先輩が覚えてくれたおかげかも。

 

11月

Bar Moonwalkという素敵で手頃なバーを教わりました。

また行きたいです。

 

理数科東京会楽しかったのだけど、自分に余裕がない時期で、あんまりよく喋れなかったのが心残り。

せっかくねだって開催してもらったのに。

 

12月

ランダムウォークしました。

#関東湧源ランダムウォーク でツイート検索してください。

 

カルーア赤札堂で手に入れて、幸せを味わったり、タピオカルーアしたり 、頭が悪くなったりしました。

 

ゆーげんの大定例会に台風で行けなかったので、振替旅行をしました。

土曜日に関西ゆーげんの冬のクリスマス会行って、日曜日に大定例会の会場だった富山に行く、という旅行。

夜行バス3連続で乗って、全体的に予定を詰め込んだので、さすがに眠くなったけれど、超楽しかったから、決行してよかったです。

 

 

結局、Twilogを見返しながら、この記事を書きました。

つらいと言いつつ、自由奔放に生きた良い1年でした。

全体的に思い出してみると、コミュニケーションのこととか、自分のしたいこととは生きづらさとはということを考えながら生きていました。

完全には解決していないけれど、どういうときにコミュニケーションが出来て、どういう時に頑張らないといけなくなるのか、が分かってきて、生きづらさは解消されつつあります。

この1年の間、しゃべってくれた人々に感謝したいなあと思いながら、ブログを締めたいと思います。

 

DNA-computing

湧源アドベントカレンダーに参加しています。

https://qiita.com/advent-calendar/2019/yugen

Qittaはどうやら情報系のサイトらしいので、「私の好きなもの×情報系」を考えました。その結果、DNA computingという語句を思いついたので、調べてみました。

DNA computingに期待されること

DNAの優秀な点は、小さなスペースに大量のデータを詰め込める可能性をもつことだと思います。DNA1本に対して(明記されてないがおそらく最大25塩基長)1文字の情報を割り当てたとしても、1mLの溶液中に6千万GBの記憶容量を持たせられるそうです。また、並列性もDNAの優秀な点です。この後ろに実例を示しますが、複数の処理を同時に行うことができます。

実例その1

まず、DNA-computingの元祖と呼ばれる成果を紹介します。Leonard M. Adleman氏が、1994年にScienceで発表した手法です。 

Molecular computation of solutions to combinatorial problems | Science

この論文では、7つの点とそれを結ぶ14個の矢印からなるグラフについて、すべての点を一度だけ通るパスを、DNA-computingにより見つけています。具体的な方法を説明します。下の図は、4つの点とそれを結ぶ6つの矢印のグラフについて、同様に解く方法を示したものです。

 

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巡回セールスマン問題をDNAで解く

点(city)に対して、8塩基対からなるDNAを割り当て用意します。(用意するのは図のcomplementつまり相補鎖と書いてある方です。) また、矢印(flight)に対して、始点となる点の後半4塩基と、終点となる点の前半4塩基に結合できるような配列を用意します。

これら全てと、リガーゼという二本鎖DNAの片側が1か所切れた部分をつなげる酵素を、水中で混ぜると、DNAが互い違いに組み合って二重らせんを形成します。これを、リガーゼできちんとつなげます(このままだと8塩基ごとにリン酸ジエステル結合がないDNAになっているので)。この段階で、一筆書きで行ける経路を表すたくさんの配列ができます。

このままでは、始点がこの点で終点はこの点、という条件を満たさないので、次の増幅の段階で工夫をします。増幅(PCR)には、プライマーと呼ばれる「この配列から増幅する」ということを示す短いDNAが必要になります。なので、プライマーとして始点にしたい点と終点にしたい点の配列に揃えた2つを使うことで、始点と終点を定めることができます。このままでは、始点だけ正しい配列と、終点だけ正しい配列もできてしまいますが、両方正しい配列の方ができる速度が速い(両方のプライマーから増幅されるので)ため、増幅量が増えて飽和する前にPCRを止めることで、目的配列が大半を占める集団をとってくることができます。

最後に、得られた集団の配列を精製したのちに、増幅収率が高い配列をシークエンサーで読み取れば、答えが得られます。

http://152.2.128.56/~montek/teaching/Comp790-Fall11/Home/Home_files/Adleman-ScAm94.pdf

 


実例その2

その2として、DNAでinputやoutputを表現し、論理ゲートを作る例を紹介します。いろいろありますが、ANDゲートを作った例を紹介しようと思います。

https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acssynbio.7b00101

2本のDNAで、(1,1)=(短いDNA有り,長いDNA有り)というinputを表現します。outputは、0=RNAが出てこない、1=RNAが出てくる、です。ANDゲートなので、2種類のDNA両方が入力されたときだけ、RNAが出力されます。


inputのDNAは、水溶液中で、template DNAとT7RPという名前のDNAからRNAを作る酵素と共存させます。

template DNAは図の黄色で描かれた構造をしています。そして、図(d)のようにinputのDNAと2本鎖を作ることができます。

T7RPという酵素は、DNAの決まった配列かつ2本鎖の部分にのみ結合ができ、また結合できて初めてRNAを作ります。

Template DNAの1本鎖と2本鎖の境目に、T7RPの結合できる配列があるので、dのようにinputのDNAが2本鎖を組まなければ、RNAは作られない、という仕組みです。

bの(0,1)のときは、長いDNAがtemplateと2本鎖を組んでもよい気がしますが、自分の中で2本鎖を形成しているときは、端から引き離されない限りは、べつのDNAと2本鎖を組もうと思わないので、templateにくっつけません。(短いDNAとくっつく側は、長いDNAの端が2塩基だけ余っているのでくっつけます。)といいつつ、少しは長いDNAがtemplate DNAにくっついてしまうので、RNAの出力量で0というより0.2くらいのoutputを示してしまうようです。outputが1とはちゃんと区別できる程度の誤出力なので、許容というところでしょうか。

ちなみに、outputの検出は、ナノポアにRNAが近づいたときに生じる膜電位の変化で行っています。

この例では、RNAがoutputされた後に次の論理ゲートに入れることができないので、論理回路を組むことはできませんが、論理ゲートの実装という意味はあると思います。ほかにも、2本鎖を組む組まないの検出方法の違いから、NANDゲートの実装などが行われています。

まとめ

DNA-computing自体は、この記事を書こうと思って調べた付け焼刃な知識なので、もっと紹介するにふさわしい話があるかもしれないです。

とりあえず、DNAでおもしろいことができそう、ということが伝わるといいなと思います。

規則正しく生活すること

10月の頭から、毎日4時起きを目標にして生きてます。

1年半前から、ホテルで朝ごはんを出すバイトをしていて、

朝食会場は6:30に開けるので、出勤は5:30で、起きるのは4:00になります。

今までは、バイトのある日は4時起きで、それ以外の日に睡眠時間を確保、

みたいな生活をしていたのですが、「今日8時間寝てるのに睡眠不足が解消されない」

という日がよくあり困ってました。

それで、「規則正しい生活をするべき」ととある先生が言ってたのを思い出して、

試験的に4時起き生活を始めました。

結果としては、効果があると思います。

眠い日が明らかに減りました。

 

夜は、21:00-22:00に寝るのが目標で、でもそれを過ぎてしまう日はぼちぼちありました。

けれど、「4時間しか寝てないのに平気」だったりして、

規則正しく起きるのってすごくいいことなんだな、と思いました。

寝る時間は多少ずれても影響が無さそう???

 

と言いつつ、4時起きが必ず達成されてたわけではなく、

4:10まで寝ててもバイトに遅刻しないからokというルールが追加されたり、

バイトのない日に4:30まで二度寝してたり、朝ごはんまではクリアしてから仮眠をとったり、

何もない日(今日とか)に普通にお寝坊さんしたりしてますが。

 

あと、ついでに、3km走ることを始めました。

まわりに走る人がなんか増えたので。

あと、運動習慣が0なのは微妙なのでは、と危機感を持って。

ルールは、バイトのない日かつ雨でない日に、起きたらとりあえず3km走ってくる、です。

1日、雨だと思って起きたら雨じゃなかった日にさぼっていて、

でもまあ今のところ続いていると言っていいと思います。

走る習慣があると、その分普段疲れにくい気がしているので、

続けたいなあと思います。

これから寒くなるのがこわい。

 

とにかく、規則正しく起きるのはおすすめ、という話でした。

365日の図書館

読書メーターに記録している読んだ本が365冊になるので、

何かしたいなあと思って、月ごとに好きな本をまとめようと思い立ちました。

月のイメージは、絶対にこれ、っていう本と、

この本紹介したいから、この月っぽいということにしとこ、くらいの本とあります。

 

■1月 むこう岸 安田夏菜

生活保護は、施しをタダで受けてることじゃない、投資されているんだ」

これは心にとどめておきたいし、人々に知らしめたい言葉だと思いました。

恵まれた家庭に育ち、中学受験をしたような山之内と、

貧乏ですべてを一人で抱え込もうとする樹希が、

互いに干渉し化学反応を起こす物語です。

 

■2月 猫を抱いて象と泳ぐ 小川洋子

リトル・アリョーヒンのチェスに対する態度で、

私も学問に臨むのがよいだろう、と後になって思いました。

読んでいるときは、静謐な世界観、感性の光る表現に、

ただただうっとりしていました。

 

■3月 暗い夜、星を数えて 彩瀬まる

東日本大震災の時に、福島の電車の中で被災した彩瀬さんのエッセイ。

震災について、自分のことのように寄り添って考えさせられるきっかけとなった本です。

それまでも、いくつかの記事で、震災について知ろうとしていたつもりだったけれど、

福島に対する認識がずれていたことを知らされました。

福島の人が、おすそわけするのに気を遣うこと、

信頼できる知人からのおすそわけでも無条件には口にできないこと。

様々な人の視点、そして、一人の人の中でも複雑な感情が混在していること。

 

■4月 うたうとは小さないのちひろいあげ 村上しいこ

この本をきっかけに、短歌に興味を持ちました。

平安時代の短歌もいいけれど、現代短歌を味わうのは楽しい。

しかしそれ以上に、この本を読んだ直後、どんな文の形でもいいから、

私の見たこと聞いたこと感じたことを、すべて文にしたい言語化したい、

という気持ちがむくむくと湧き出てきました。

 

■5月 葉桜 橋本紡

あんなに感性が豊かで、それを表現できる人々の中で暮らせたら、どんなに幸せだろうか。

この本を読むと、背筋が伸びます。

少しだけ、丁寧に暮らしてみようかな、という気持ちになります。

大好きな本の一つです。

 

■6月 人間タワー 朝比奈あすか

人間タワーをめぐって、各視点から描かれた文章。

とりわけ、小学生の気持ち、先生の気持ちがよく書かれていたように感じます。

こんな子、各学年に1人はいるだろうな、みたいな。

最近、ネットでしばしば上がるような話題がテーマで、

新たな知見を得られたか、は微妙なところですが、

一文筆家の手で書かれた物語であることは大事なことだと思います。

 

■7月 夜市 恒川光太郎

始めて読む物語でした。すごい・・・という感想を抱きました。

私におすすめしてくれた友だちの表現を借りると、ジャンルは和風ホラーです。

これはおすすめしたい気持ちがよく分かるので、

読んだことのない人は、ぜひ手に取って、

すごい・・・という感覚を感じて欲しいです。

 

■8月 世界の果てのこどもたち 中脇初枝

いろいろな出自・思想の人が交わりあって暮らしていて、

心の通う知人(友人or親類)になってしまえば、出自なんて気にならなくなるのに、

なぜ国対国、民族対民族というスケールでは、自分と違う人間は敵意の対象になってしまうのだろう。

戦後の中国・日本・韓国それぞれの市民は、

どうして皆が望む平和な方向へまっすぐ進むことができないのだろう。

戦時中から戦後を生活している市民の気持ちに寄り添った話を読むのは初めてだったので、

新しく知ることがたくさんありました。

 

■9月 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 桜庭一樹

藻屑が転校してきたのが9月らしいので9月の本。

狂っていて、同情しきれなくて、でも読んでいてつらい気持ちになりました。

「好きって絶望だよね」というせりふが、

いつまでもいつまでも頭の中に残っています。

 

■10月 誰かが足りない 宮下奈都

10月の本といえば、これしかないです。

10月31日にハライに集うことになる人々の短編集。

ちょっと寂しげで、でも最後にはどこか幸せな気分になれる。

私は、偶然この本を10月の真ん中に読んだのですが、

ひきこもりの兄が、久しぶりに窓を開けて、

風の冷たさと空の青さに「今って10月?」って尋ねたところは、

ほんとうにぞくぞくとしました。

 

■11月 骨を彩る 彩瀬まる

銀杏並木を見るとこの本を思い出します。

一番好きで、おすすめしたい本です。

「死者にまつわる風景を無意識に飴玉にする癖があるのだ」

というところを初めとし、いくつものハッとさせられる場面がありました。

自分とは違う当たり前を持った人のことを、すんなりと受け入れるのは難しいし、

引っかかりをもってしまうのもまた仕方ないことであり、

なんと言えばよいか折り合いをつけるのが大切なことだと思いました。

 

■12月 すべて真夜中の恋人たち 川上未映子

誕生日に真夜中の街を散歩すること、という考えに惹かれて、

私も去年の誕生日の真夜中に散歩をしました。

主人公の冬子さんが12月生まれだった気がしてるけれど、

自分の誕生日が12月なことと混同して記憶してる可能性があってご了承ください。

冬子さんの鬱っぽいところが、自分と重なって、

同族嫌悪な気持ちになって、

決して幸せな感覚ではなかったけれど、

きっと読んでよかった本の一つです。

 

こうやって並べてみると、好きな本12冊とか、おすすめの本12冊とは、

きっと違うラインナップができて、自分でもびっくりしました。

けれど、もちろん良い本ばかりなので、気になった本を手に取ってもらえたら幸いです。

 

 

 

2018年のふりかえり

年末なので、一年を振り返ります。

これやると、前半の出来事とか、「これまだ今年の話だっけ」ってなって楽しい。

 

1月

けんふり!があった月です。

成績枠が、各研究室上位3割(切り上げ)だったおかげで、

なんとか成績枠に引っかかって、無事に今の研究室に入れました。

早期配属で、成績枠入れないと、話がこんがらがりそうだったのでよかったです。

試験勉強がんばってなかったから、ほんとに引っかかったという感じですが。

 

私の1つ目のテーマの研究において、最後の大きな前進があったのが1月31日で、

ここまで来たら、あとは作業という感じになりました。

今12月末になってもこのテーマが片付けられてないのよく分からないですね。

 

2月

人生初のインフルエンザにかかりました。

研究室で、カラムをしている最中に、なんかやばい気がするってなって、

保健センターいったらインフルでした。

卒論発表前の先輩たちにはうつさなかったのがよかったです。

 

大学入試休みをつかって、福井旅行しました。

宮下奈都さんの講演会へ行くのが一番の目的で、

講演会後のサイン会とついったーのエゴサのおかげで、

宮下さんに存在を覚えてもらいました。

これ以来、いいねやメッセージを頂くことがあって、とても嬉しいです。

誰かに泊めてもらうことをしない一人旅は初めてでした。

自由気ままに観光をしたのが楽しかったです。

福井はいいぞ。

 

3月

3回目の徳島旅行しました。

東京湾から出てるフェリー(安いのに快適だった)で上陸しました。

天候が微妙だったけれど、うみがめの博物館は楽しかったし、

地元の食材を使ったお店の料理がおいしかったです。

ただ、さすがに今回で、徳島観光し尽くした感はあって、

今度どうしようという気持ちです。

旅行の最中に、連絡が途絶えてた高校同期から、

合格したという連絡がきて、めっちゃ嬉しかったです。

どのくらい嬉しかったかというと、

春休み中に彼女に会ってお祝いするためだけに一晩帰省を実行したくらいです。

 

そのほかにも、33同窓会や、新歓合宿in滋賀や、

京大見学がてら高校の友だちに会ったこととかがあって楽しかったです。

(ついーとした気がするので、詳しく話すのがめんどくなった)

 

新年度から、ラボに同期が入ってくるのが楽しみな一方で、

先輩方がいなくなってしまうことになってるのが悲しくて、

少しでも長くこの状態が続けばいいのに、と思ってました。

 

4月

新年度になって、新しいテーマをもらいました。

1年生の頃から好きだった、核酸にまつわる研究です。

有機化学の研究室だから、と思ってたのですが、

予想以上に生命化学に踏み込んだところまで扱ってよいようなので、

びっくりしました。

 

4年生になって、朝ならラボを気にせずに働ける、と思って

バイトを始めました。

最初の頃は、仕事が覚えられなくて、

(理不尽なことも含めて)注意されたので、ひええ、ってなってました。

 

そういえば、4月の頭ののんぴゅい編集会のあとに、

お花見して、居酒屋さんで想定外に酔って、

カラオケに連れてってもらいました。

新しい楽しいことを一つ覚えました。

 

5月

らぼで、高尾山ハイキングに行ったのが楽しかったです。

スタッフさんがたのお子さん達が元気で可愛くて、

うらやましいと思いました。

普段は一生懸命実験してた気がします。

あわててガラスを割ることが多かったです・・・。

 

6月

院試前発表会の準備を頑張ってました。

他の研究室の発表会にお邪魔させてもらうことをお願いした立場として、

それなりの準備をしないといけないと思っていたので。

 

7月

院試前休み。

ラボに行って、合格がほぼ決まってて実験してる同期をうらやましく思いながら、

ゆるゆると勉強してました。

平日休みにしかできないことをしたくて、

ひみつ堂に行ったりもしました。

 

8月

生理学研究所に行って、

それから母を松江の花火大会と隠岐へと連れて行きました。

1年生のときよりも、隠岐の天候が微妙だったけれど、

それでも良い景色を見れたし、たくさんの人に会えてよかったです。

観光客の立場とインターン生の立場では、また見えるものも違ったし。

いつか、自分のお金で親と旅行に行きたいです。

 

院試お疲れ様会として、学生だけで飲み会したのが、

とても楽しかったです。

好き勝手なこと話して聞ける飲み会好き。

 

9月

院試の合格発表がありました。

無事に、というか、何事もなく合格しました、という方が正確な気がします。

この頃から、いろいろなことが重なって、精神を病み始めました。

 

10月

旅行と発表当番が多くて、あっという間でした。

大定例会は幹事をしました。

忙しかったので、もうやらないぞ、という気持ちですが、

でも運営側をやるのは、それはそれで楽しくてよい思い出です。

人が多すぎて、名前と顔と趣味を一致させられなかったことが悔やまれます。

静岡に湧源の人が来てくれて、静岡観光案内をできて嬉しかったです。

 

それと、ラボ旅行がありました。

行先は箱根です。

彫刻の森ではしゃぎました。

幹事さんたちがなんだかんだ仕事が出来るので、

来年は我々が幹事の代になるのが不安になりました。

 

バイトに慣れてきて、完全に楽しくなってきたのがこの頃です。

一人前だと認められつつあったのが嬉しかったです。

シフトをたくさん入れた結果、

出勤してる方がデフォルトだと思われたりしました。

 

11月

北鎌倉行ったり、秋田山形行ったり。

ここに羅列すると冗長なのでやめますが、

どの訪れた場所も、いいとこで、また行きたいです。

少人数だと、普段しないような話までできて、

同級生たちが、こんなこと考えているのか、という気持ちになりました。

 

12月

3年生との上下コンがあって、久しぶりに学科同期と飲み会(二次会)して、

それから、友だちとジブリ美術館に遊びに行って、

ゆーげんの地方会があって、

そのおかげかよく分からないけれど、精神が病んだ状態から抜け出しました。

病んでる、と言っても、それなりに波はあって、常にひどかったわけではないですが、

きっと抜け出したと思ってからは、

一切泣けてきたことがないので、これより前の状態は病んでたんだろうなと思っています。

 

誕生日の翌日に、小中の頃の友だちとごはんに行きました。

中学の話すら10年前とかでびっくりしました。

自覚してた以上に、思い出話を忘れてる。

でも、友だちと話すのは当然楽しくて、

彼女らと仲良くなれたことが幸せだなあと思いました。

このとき、サプライズでお祝いしてもらって、

そんなこと初めてで、めっちゃ嬉しかったです。

良い誕生日という思い出をいくつか持っているけれど、

今年もそういう思い出が増えました。

最高の誕生日を更新してしまったかもしれない。

 

全体を通して考えると、去年までの方が常に楽しく生きてた気がする、

というのが今の気持ちの正直なところで、思い出したくない時期もあって。

思っていたより、新しい経験をいろいろしているな、とも思いました。

それと、古い友人に会う機会が多くて、

友だちと話すのとても楽しい、というのを改めて感じた一年です。

来年も、いろいろ誘ってもらえるといいなあ、と思います。

院試おわり

今日で院試が終わりました。

大学生になって初めて、勉強頑張った、と思えた経験でした。

 

6月の終わりに、同期2人が、修博一貫で受ける、って言い始めて、

これはほとんど推薦枠で、受験許可が出れば合格が決まったようなものなので、

私は残りの0~1枠のあるのか分からない枠を求めて勉強することになりました。

噂によれば、上限人数は決まっていて基本「B4の人数-1人」だけど、

全員が高得点なら全員合格にしてもらえるそう。

 

7月頭に、ラボ内中間発表を終えて院試休みに入って、

遊びに行く予定を入れた日以外は、

ラボで勉強する生活をしていました。

同期達も、ラボに来て普通に実験してたので、

他のラボの先輩に「院試休みなのにB4がいる」って言われたりしてた。

居室にずっといると、実験してる人々がうらやましくなったり、

同期の研究の進捗が耳に入ってきてつらくなったり、

全員ふつうの枠で受けてくれたら私もふつうに勉強すればよかったのに、と

修博一貫コースのことを恨んだりしてました。

 

でも、いいことはあって、

ほかの研究室とちがって、同期が院試のライバルじゃないので、

何も気にせず勉強のことを聞けたことです。

実験のこともあるのに、過去問解くのまで付き合ってくれてありがとう。

また、先輩や、院試作問に関わってないスタッフさんも、

勉強教えてくださったり、面接練習してくださったりして、

非常に感謝しています。

日々、勉強に飽きている私に、ちょっかいを出してくれたのも

嬉しかったです。

 

8月頭に旅行に行って帰ってきたら、

7月に勉強したことが自然に出てこなくなって焦り始めました。

最終的には、院試休み前の頃よりできるようになった、

と自信をもって言えるようになってよかったです。

この頃には、修博一貫コースを恨む気持ちは薄れてました。

ただ、先輩が、「彼らはチート枠」呼ばわりしてくれたのは嬉しかったけれど。

 

院試直前は、この研究室が大好きだから、絶対受かりたい、

ということをひたすら考えてました。

院試休みを通して、この気持ちがさらに深まったかもしれないです。

院試の裏目標として、去年の院試明けに初めて出会った

当時B4のラボの先輩に追いつく、

があったのですが、それが達成されたかは不安です。

私はちゃんと成長したけれど、それでも先輩優秀すぎる、という気持ち。

 

当日、筆記は、6問ちゃんと解いて、4問はある程度の点数はもらえないかな、というところ。

私は普段、のんぴゅいという同人誌に核酸の記事を書いているのですが、

そこで語ったことがある話題で3問解けたので、

のんぴゅいに記事を書いていてよかったと思いました。

有機化学は、有機化学徒なので全部解く、って臨んだけれど、

後ろ2問が微妙です。悲しい。

 

面接は、悪くなかったと思います。

先輩のとき研究説明は3分だったそうで、準備していったのに、

1~2分で言ってください、と言われてめっちゃあせった。

(結局たぶん2分半くらいで話したと思う。)

想定して用意した質問は、志望動機と研究説明しかされなかったけれど、

そこから先は、ノリで受けこたえできたつもりです。

ラボ中の人に面接練習してもらってきたから大丈夫、という気持ちのおかげです。

それと、ラボを出るときに、スタッフさんが敬礼してくれて、

緊張がほぐれた、というのもある。

「五月祭と工場見学でリーダーシップ賞もらってたけど、

今後どういう風にリーダーシップを発揮する?」

という質問だけは困りました。

ただ、その質問した先生は、私が2,3年生の時、もしかしたら1年生の時も含めて、

頑張ってたタイミングをちょうど見ていて覚えてくださってる先生なので、

ポジティブに評価してくれてないかなあ、とかいう超勝手な期待。

 

面接の番号順的に、自分の研究室を受けている外部の人はいなさそうなので、

私ができていれば、同期3人で合格できるようです。

3人の面接が終了した後に、面接官の先生たちが、

「3人とも優秀ですねえ」という雑談をしていたのが聞こえたそうなので、

めっちゃ期待して合格発表まで生きようと思います。