富士登山のきろく

会社の先輩と、その友人と、私の主人との5人で富士山に登頂して来ました。

思い出がたくさんできて、覚えておきたいので、長文を記録しておこうと思います。

 

先輩が「今度の休みに帰省する?」の意で「富士山見て来るの?」って聞いてきて、そこから突然「富士山登ってみたいんだけど」という話になったところから、富士山登山計画が始まりました。

 

・練習

全員登山初心者だったので、関西在住組で定期的に登山の練習をしました。

生駒山やポンポン山は、疲れたと言いつつ終始おしゃべりしながら登りました。

関西の中では富士山にいちばん似ているらしい伊吹山は、結構きつくて、途中で先輩を脱落させたりしました(から、再チャレンジしたかったのだけど、雨で流れてできずじまい。)

会社の人と、外で遊ぶのってなかなかしないので、富士山の練習という口実で、わいわい外出できたのはとても楽しかったです。

 

・準備

登山リュック買わなきゃということで、たまたま頂いた百貨店商品券で30Lリュックを手に入れました。

富士登山なら30Lでいけるし女性だとそれ以上大きいのは背負いにくいというアドバイスをもらいました。

 

靴は、高校の高原教室で使ったのを物置から出してきました。

高校生の頃、「足大きくなるかもしれないから」と大きめを買ってたせいで、ちょっと大きかったです。

高校生はもう足が大きくならないでしょ、と今なら思います。

 

それ以外は、登山用手袋とヘッドライトを買いました。

スティックは用意しなかったけれど、当日下山のとき借りたらととても良かったので、今(登山後)から自分用の購入するか??ってなってます。富士山の下山ルートめっちゃ滑って転びそうになる。

 

山小屋の予約の始まる日時が決まっていたので、泊まりたいとこ2か所目星つけて分担してやりました。

先輩方に、夜中の0時予約開始のとこお願いして、私はそこが取れなかったらその日朝6時予約開始のとこのために早起きする、ことになりました。

先輩が、きっかり0時に予約チャレンジしたけれどアクセス過多でつながらなくて、でも粘った結果2時ごろ予約成功してくださいました。

なので、私は、朝6時前に起きて「予約ありがとうございます!」って言って二度寝ができました。とても感謝。

 

・日程調整

私たちの会社は、夏休みを好きなとこ3日間選んでとれるシステムです。

なので、富士山が混みそうなお盆は少し避けて、でもお盆から離しすぎると部署の人に「こいつら3人で遊び行ってる」ってばれそうなので()、8/7~8で登山しよ、8/8~12の週で夏休み3日+有給1日とろ、ということになりました。

 

と思ってたのに、私が7月末にコロナに感染して、自宅待機期間を欠勤扱いにしないために、夏休みを消費することになってしまいました。

それから、有給の残日数と相談した結果、8日だけ有給とって、9日と10日は尼崎帰ってきて出勤、という強行日程が立ちました。

 

・前泊

6日に、関西組は富士に来て前泊しました。

なので、6日は富士富士宮観光dayになりました。

早めの新幹線で実家帰ってきて、それから人々を新富士駅に迎え行ことしたところで、先輩が「のぞみに忘れ物した、東京駅に取り行かなきゃいけなくなったんだけど東京駅って行ける?」というLINEをしてきました。

富士から東京そこまで近くない・・・と悩んでいたら、先輩の弟さん(東京在住)が回収して新富士まで持ってきてくれることになりました。

 

忘れ物問題は解決したので、当初の予定通り、さわやかに行きました。

10:30頃着いたら、一巡目で入れました。

初めてげんこつハンバーグを注文したら多かったので、やっぱりおにぎりハンバーグにしよと思いました。

 

swenとユニーでこまごましたものを買ったあと、時間が余ったので、適当に観光することになりました。

この日は曇ってて富士山は全く見えませんでした。

田んぼと新幹線と晴れてれば富士山が見えるスポットを通りかかったときに、「あそこに本来富士山が見える」と説明したら、雲に隠れていなかった愛鷹山を富士山の下の方と勘違いされて、「あの稜線を伸ばしてったら富士山の形が想像できる?」と言われました。富士山はそれよりもっと高いです。(この話をあとで母にしたら、愛鷹山はただのぼた山、と笑われました。)

元々、実家に行ってみたいと言われてたのだけど、コロナが拡大してきて止めにしよってなったので、実家の庭まで行きました。

それから、踏切通りかかったときに岳南電車の説明したら、電車見て見たかったと言われたので、岳南江尾駅に連れて行きました。

無人駅初めて見たと言われました。

岳南電車を地元以外の人に紹介したときの反応を見るの、発見があって結構好きです。

 

富士宮の浅間さんに行きました。

たまたま夜から御神火祭りの日で、昼間も出店がでてました。

血管年齢検査をノリでやりました。

「26歳に見えない、もっと若く見える、小学生料金行けそう」って見た目でおだてられたのに、血管年齢は32歳でフラグ~と思いました。

女子3人とも実年齢より高く出たので、長距離移動で疲れてる説と、会社で化学物質浴びてる&残業多いのが悪い説が出ました。

あとで母親に、富士登山前に浅間さん行ったなら禊いでくればよかったのに、と言われました。

 

東京駅で忘れ物回収した弟さんが新富士駅に着くころに迎えに行きました。

それから、わざわざ富士まで来てくれたので、夕ごはんをごちそうすることになりました。

先輩がネットで見つけてくれた、魚河岸丸天に行きました。

お刺身がめっちゃ美味しかったです。あと、あご汁も。(あご汁はおかわりできた。)

魚河岸丸天、存在だけ知ってて行ったことなかったのだけど、美味しかったので推してこと思いました。

 

・1日目

8時に、先輩方が前泊してたホテルに迎えに行って、富士吉田口までドライブしました。

朝は富士山の全体がほぼ見えてたので、初めて先輩方に富士山を見せられました。

先輩は「あんな高いとこ登るの?見なきゃよかった」と言ってました。

 

9:45に富士山パーキングについて、主人と合流しました。

それから、バスに乗って、5合目に行きました。

 

検温して、協力金払って(年ごとの木札がもらえる)、登山を始めました。

5合目は、霧がすごくて、降りてきた人が霧の向こうから現れる、みたいな感じでした。

また、ゆるやかな長い下り坂があったので、帰りが不安になりました。

 

6合目で、ヘルメットを貸してもらいました。

ネット情報で、「ヘルメット貸し場をうっかり通り過ぎないように注意」と書いてあったけれど、ふつうに分かりやすい場所にあったので、これを見逃すことはなくない?と思いました。

このあと道中で、同じヘルメットを被っているツアーの方に遭遇して、「我々もヘルメット集団の一員になってついていこう」とかやりました。(ちなみに、ツアーの人たちは、目印として靴にリボンなどを付けてるので、厳密には紛れられない)

この辺から、登り坂で、体力が持たないので、二折りごとにプチ休憩してた気がします。

 

まあまあゆっくり登ってた気がしたのですが、7合目くらいまで、一般に言われてる時間と同じくらいで登れてました。

7合目以降は、山小屋が定期的に現れるので、山小屋ごとにゆっくり休憩しました。(それ以外に立ち止まるだけのプチ休憩もしてる。)

事前に、ビビッて飲み物は多めに用意していたのだけど、それよりパンとかの固形物をもう少し持っておくべきだった、と後悔しました。(お昼ごはん用しかもってなかったけど足りなかった。)

ただ、山小屋で、300円でパンを買えたので、困りはしなかったです。

ツアーの案内人が、「足をあまり上げない方が疲れない」と言っていて、参考にしてたけれど、ところどころ足上げないと進めないじゃん、みたいなとこがあって「無理じゃん」って言いながら登りました。

 

8合目を過ぎても、日の入りまで余裕があったので、安心感を得ました。

下の通ってきた山小屋を見て、「あんなとこからもうここまで登って来たんだ」って励ましたりしてました。

どこの山小屋か忘れましたが、ガイドさんが「ここから先はふつう寒すぎて上着必須だけど、今日はまだ半そでで行けますね、今日は天気がいいです」と言ってました。

あと、ガイドさんが、疲れたツアー客の荷物を2つ(自分の分いれて3つ)抱えてて、ほいほい歩いてて、ガイドさんすごい、と思いました。

 

まだ明るいけれど日は落ちたかな、くらいの時間に、宿泊場所のトモエ館本八合目に到着しました。

雲がよく見下ろせる場所です。また、日が完全に落ちると星がよく見えました。

夕ごはんはハンバーグカレーでした。とても美味しかったです。

ここで、「会社の怪談を話してあげる」と先輩が話し始めたのだけど、「泡取りれんじろうが置いてある机のとこあるじゃん」「待ってください、泡取りれんじろうって何ですか」「えっ2年働いてて、泡取りれんじろう知らないの?」という会話をしてしまい、泡取りれんじろうのインパクトで爆笑しちゃって何も怪談の怖さが頭に入ってこなかったです。

先輩が夜なべして(夜なべではないけれど)とってくれた個室で寝ました。

私は、途中で暑くて上着を脱ぐために目が覚めた程度だったけれど、同室の先輩方はあんまり眠れなかったそうです。

 

・2日目

2時すぎに起きて、ご来光を観に出発しました。

みんなライトをつけているので、心配にならないくらい明るかったです。

9合目前後から、定点で見守ってくれてる人(警備員さんと呼んでいいのかな)がいました。

「少しでも多くの人が上に行けるように2列で登ってください」「ここまで来たら、もうどこでご来光見ても同じです、同じですがせっかくですから頂上まで行きましょう」と励ましてくれました。

行列になっちゃうと、周りの人にペースを合わせなきゃいけないのがストレスでかえって疲れちゃうかな、と心配してたのだけど、ほどよく休憩できて、個人的にはいい感じのペースで登れました。

途中で、行列のペースに合わせられる組と、もう少しゆっくり行きたい組で分かれて、頂上で合流することにしました。

 

無事、日の出前に頂上に到着して、ご来光が見やすそうな場所を確保しました。

日本で一番高いところから見る日の出はとてもきれいでした。

(あとでスマホの映像を見たけれど、やっぱり直接見るのがいいよねという話をしました。)

それから、LINEで連絡をとってゆっくり行きたい組と合流しました。

彼女らもご来光前に頂上にたどり着いたそうで、実はわりとそばでご来光を見ていました。

合流前にゆっくり行きたい組の人が撮った「ご来光を待つ人々の写真」があったのだけど、帰ってから見たら、その中に、先に行った組がしっかり写りこんでいました。

 

それから、カップラーメンを食べました。

めちゃくちゃ寒かったです。カップラーメンの温かさだけが救いでした。

(富士山で撮ってもらった写真、私笑っちゃうくらい全部にこにこじゃん、という感じだったのだけど、このときだけは寒そうな表情をしていました。)

 

元気がある人々でお鉢めぐりをしました。

多少アップダウンがあったけれど、おしゃべりしたり景色を眺めたりしてたら平気でした。

剣が峰のところは、行列ができていました。

この行列は、剣が峰に上る人々というより剣が峰の石碑で写真を撮る人々の行列だったのだけど、なんとなく抜かしにくくて、行列に並びました。(こういう人のせいで無駄に行列が伸びてる説があります)

我々が記念写真を撮れた直後に空が曇り始めて、ぎりぎりだったねという話をしました。

反時計回りで剣が峰直後が急な坂かつ砂場で、下るのが大変でした。

ここで主人にスティックを借りて、結局下山しきるまでずっと借りてました。(この後私は、五合目のレストランでスティックを机の下に置く→忘れる→バス停に向かう途中で思い出す→置きっぱなしだったから回収したよと主人に言われる、という駄目ムーブをしました)

 

お鉢めぐりをしながら下界の市町村のことを考えると、剣が峰、富士宮方面だから、富士山の頂上は静岡側じゃない?と思いました()

富士宮方面を歩いているときに市街地が見えました。富士市方面まで来ると、雲がかかってしまって下界は見えませんでした。

下界の地理がより分かっているので楽しそうという理由で、いつか富士宮口から登ってみたいなと思いました。

また、宝永山も上から見られました。

 

我々がお鉢めぐりをしている間に、先輩が頂上の郵便局ではがきを出しました。

私の下宿にも送ってくれました。

なんかテレビ局の人に取材されたけれど、表面に描いたすそのんを見られたくなかったから断っちゃったらしいです。

 

8時ころ、下山を開始しました。

いわゆる「砂走り」で、滑るので、降りるのがとても大変でした。

折り返すたびに小休憩をして、2つか3つおきにリュックをおろして座り込む完全な休憩をしました。

先輩と「剣が峰の直後の下り坂よりはましだから・・・」と励ましあいながら下りました。

下山し始めが一区切り、みたいな気持ちになってたので、9時とかに、まだ1時間しか歩いてないな、の気持ちだったけれど、よくよく考えると、この日はご来光のための登山とお鉢めぐりで、すでに朝2時半からずっと活動しているわけで、そりゃ疲れてるのも当然だしよくここまで歩いてるなと思いました。

 

途中で、先輩の黒い靴が緑っぽくなってました。

また、そのあたりの岩も緑がかっていて、苔じゃないけど苔みたいな細かいものが舞ってるのかな???という話になりました。

下山後に、「あのとき緑色だったのは、実は緑じゃなくて、我々の目が疲れてて緑に見えてただけ」ということが発覚しました。

今思い出しても、明らかに緑がかってたので、疲労こわいと思いました。

 

山小屋に荷物を運ぶでかいブルドーザーに出会いました。

下山道の端ぎりぎりを走っていてすごかったです。

「あれに乗っておろしてもらいたい」と冗談を言ってたら、警備員さんが「乗り心地は悪いよー!」と言ってました。

 

6合目まで、道の様子は全然変わらなくて、ずっと砂走りだったので、結構しんどかったです。

喋ってくれる人がいなかったら死んでいた気がします。

時間的には下山の方が短いけれど、こっちの方が本番だなという感じがしました。

 

なんとか5合目まで降りてきて、低いテンションでレストランに行きました。

それから、お土産屋さんを見て(私はほぼ地元だからいいやと思ってホットコーヒーを飲んで待っていたのだけど、会社へ帰省のお土産を買うべきだということに気づいて買いました、帰省のお土産は買うけれどおでかけのお土産は買わないのがコロナ下のドレスコードになってるので先輩方は会社には買いませんでした。)、バスでふじさんパーキングに戻りました。

バスの中はみんな(ほかの人も)寝てました。

みんな富士登山に挑戦した人たちだという勝手な親近感を得ていました。

 

それから、温泉に行きました。

思ったよりも下山に時間がかかって、新幹線の時間がぎりぎりだったのだけど、私が温泉(温泉じゃなくてもいいけど着替えたかった)に行きたかったので無理を言って行きました。

25分後に出発と約束して入った(男性陣に苦笑いされた)ので、まったくゆっくりできなかったけれど、でもすっきりできてよかったです。

 

ナビに新富士駅を入れたら、google mapが言ってた「80分」じゃなくて、「2時間」が出てきて、新幹線間に合わない・・・?と焦りました。

途中で、カーナビが、私の思ってた経路(富士山こどもの国の前を抜けてく山道の空いてそうな経路)じゃなくて、国道246を通る混みそうなルートを指定していたことに気づいて、私のスマホ見て道案内してもらいました。

雨の中、山道をすっ飛ばすのやばかったけれど、今となってはいい思い出です。

なんとか無事に時間前に新富士駅着いて、先輩方を送り届けることができました。

降りた後先輩が、運転席の方まで回ってきて、頭を撫でてくれました。

 

それから母の車を返しに実家に帰って、東田子の浦駅から尼崎に帰りました。

実家滞在時間短かったので、富士山の思い出を喋りまくりました。

次の日、出社して、筋肉痛・・・と思いながらなんとか働けました。

富士登山してきたこと唯一話してあった先輩に心配されました。

 

 

富士山たくさん思い出ができました。

また先輩方と登山、というかおでかけできたらいいなと思います。

2022年、非常に充実した夏休みが過ごせてよかったです。