淡路島自転車旅のきろく

7月に、クロスバイクを手に入れたので、輪行をしたい、と思って、思ってたけれどハードルが高くて3か月が経ちました。

とはいえ、せっかくクロスバイクなのに輪行しないのは勿体ないなあと思い、主人に、輪講の仕方を教えてもらって、ついでに使わなくなった輪講袋などを譲ってもらって、自転車の解体をする練習をしました。

自転車の解体の仕方をおおよそ覚えたので、さっそく淡路島に行ってきました。

 

本州から淡路島へは、自転車をそのまま載せられる船(淡路ジェノバライン)が出ているので、最寄り駅から明石駅まで輪行をしました。

ブレーキを解除したときか付け直したときかに、ブレーキがずれてしまって、微妙なブレーキコンディションで走る羽目になったので、ブレーキの調整を身に着けたい。

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岩屋港について、とりあえず海沿いを走って、一周150kmを一日でやるのは厳しいから、適当なとこで西側に回ろう、くらいだけ決めて走り出しました。

東側から走り出したのは適当だったのだけど、左側通行で海側になるので、島を自転車でめぐるときは時計回りが正解だなと思いました。

途中で、「学習小学校」という真面目そうな小学校を見つけました。

ほぼ平地を10kmちょい走ったところで、想定外に疲れてたので、体力の衰えを感じました。

 

最後まで走れるか不安に思いながら30kmほど走って、炬口海水浴場に到着。

ここは、パオパオチャンネルでぶんけいさんが地元として紹介してた場所。

海水浴場としては最近閉鎖されてしまったそうですが、何組かの家族が海辺で遊んでいてなごやかな気持ちになりました。

 

ついったーで、淡路島と言えばシラス丼が美味しかった、という情報を得て、お昼ご飯はシラス丼にしよ、と決めました。

お昼ごろに通り道っぽいところで、海鮮料理きとら、を見つけたので、次はそこを目指す。

高速道路で淡路島を通過するときいつも、淡路島って山なんだな、と思っていたけれど、自転車で走ると坂の急さを実感する。

途中、Google先生が言うように、高速の側道を登ったり下ったりしてて、よく考えたら高速の側道は概して走りにくいのでは、ということに思い当たって適当な県道に出たら正解だった。

ちょっと苦労して、きとらに辿り着いた。

そこで、さわら丼が気になってしまい、そっちを食べました。

淡路島名物らしいので。

また食べたいくらい美味しかったです。

 

それから、同じくついったー情報(同じ人)で、野島断層を目指すことにしました。

途中でたまたま伊弉諾神宮の前を通ったので寄り道。

(このおかげで、後日、quizknockで「伊弉諾」が出てきた時読めた)

恥ずかしながら、淡路島が国産みの島と言われてることをここで知りました。

伊弉諾神宮が伊勢神宮と同じ緯度にあるのちょっと面白い。

夫婦大楠があったので手を合わせてきた。

神宮の周辺の道端には、「神様の結うとおり」という小さな神様の石像があちらこちらにありました。

 

西海岸側に出て、海沿いをずっと北方向へ。

野島断層に着きました。

ここは、阪神・淡路大震災で生じた断層を保存している場所。

断層は大きな建物で覆われていて、最初見た時、本物とは実感できなくて、断層のレプリカみたいな印象を受けた。

けれど、途中で、祠の生垣が、建物の中から外へとつながっているのが窓越しに見えて、ほんとにここで起こったことなんだということを理解させられた。

地震の力強すぎてどうしようもないから、起こったときに自分の身を守れるようにしておくことが大事だなと思った。

 

西海岸を夕暮れ時に走ったので、数キロにわたって海岸のところどころに、少しずつ人々がいて、みんな思い思いのやり方で夕陽を眺めていて、とても尊いなあと思いました。

たまたま、夕日が島影(小豆島かな)に落ちて行って、島の影がくっきりしていくのもよかったです。

 

港に着いたときはすっかり日は落ちていて真っ暗でした。

船で、ライトアップされた明石海峡大橋をくぐりました。

明石側の港に着くと、たいていの人は明石駅の方向に歩いていくのですが、ここにいる人たちはきっとそれぞれの淡路島の思い出を抱えて今ここを歩いているんだろうなあ、などと考えて勝手にほっこりしてました。

淡路島よかったので、帰りに明石駅ジュンク堂で「地球の歩き方JAPAN淡路島」を買いました。